嫌われる勇気
自分の信念。
これを貫ければ人に嫌われようが全く関係ない、と僕は思う。
ただ注意しなければならないのはただ人に嫌われるのが目的になってはならないこと。
あくまで自分の信念を通してそれを好まない人には嫌われても仕方ないということである。
ではここで一つ考えたい。
なぜ信念を持ったほうが良いのだろうか。
昨日、信念を持っている人と持っていない人間が議論する場面があった。
一言で言うと信念を持っていない人間の言葉は軽い。
おそらく人生に対して本気じゃないから言葉も軽くなってしまうのだろう。
それを第三者目線から見た自分としては非常にかっこ悪いなと思った。
そして醜い。
確かに信念を持たなくても生きていける。
人との衝突も少なくなるだろうし、そちらの方が楽だろう。
しかし、芯がしっかりしていない分、それは非常にもろい。
つまりそれは本気の人間と対峙した時に手も足も出ないということ。
僕は本気の人生を歩みたい。
なぜ本気の人生を歩みたいのか。
それは自分は強さを求めているからかもしれない。
その強さとは腕力的な強さではなく、己を乗り越えられるような強さである。
弱き自分を見つめることができ、それを改善しようとする強さを持った人間に僕はなりたい。
強くなりたい。
そのためには本気で生きなければならない。
自分が信じているものがあるから本気になれる。
つまり、それは信念を持つということである。