組織の責任構造について
先月、今月と会社の売り上げが一気に落ちてきた
理由としては大幅な値上げを行ったことが挙げられる。
ここ数カ月、うちのサービスを全体的に今までの価格の倍にする値上げが行われた。
これは代表の意思でほぼ行われ、理由としては相場観を調べたところうちは他よりも安いという理由で行われた。
その結果、見積依頼はくるが、仕事が決まらないという現象がものすごく増え、仕事が入ってこない状態になり、売り上げが一気に下がるということが起きた。
今回の件で考えさせられたことがある。
それは責任構造の大切さ。
正直今、売り上げは落ちたけど誰がこの責任を取るのかものすごく曖昧な状態。
代表がこの責任を取るのが一般的であるが、その様な雰囲気がうちの会社には無い。
なんなら投資家が人件費などは払っているので、代表は売り上げが落ちたとしても自分の懐は痛まないというのが正直なところだ。
お金のリスクはとらないけども、価格の権限は現場から取り上げて、自分で価格を決めてこの様なことになっている。
それで責任は問われないという、これは組織として異常な事態だと思う。
そして、やはり価格の権限は現場側に戻すことが必要であると思う。
この誰がどこまでの責任を取るかをはっきりさせないと、結果が出なくてもなあなあとなってしまう恐ろしさを感じた。
来週、組織として誰がどこまでの責任を取るのかはっきりさせる会議を開こうと思う。
カズ意図と貢献
コミットメント
必要なことは何でもやる
できるまでやる
それ位まで成し遂げたいと思っているか?
何でもやるの定義は人による
すぐやるの定義も人による
コンフォートゾーン
ストレッチゾーン
できないとおもっている不可能
→意図と方法でいくらでも選択肢がある
意図からすべてをこなしていく
方法から入っていくと見つけずらくなっていく
可能性が無限際になるのは何でもするということが真の意味でできているから
意図から生まれた方法を戦略・計画にしていく
目標:目的地のこと。明確で測定可能で、達成基準がはっきりしていること
戦略:どうやって目標を達成るかという大きな方向性。何をするのか
→ここで意図を持つ!!
戦術:具体的に何をするのかという、現場の実行レベルの施策。具体的な行動。
→ここで何でもやる!!
計画:目標達成までの戦術をスケジュールにする
→何でもやることをスケジュールする!
スケジュール通りにやることをやり切れるために何でもやる!
スケジュール通りにいかないのは準備不足。
スケジュール通りに進めるのは準備が不可欠。
意図がないと何を持って行動している?
叶えたいモノは意図を持ってやる方がいいのでは?
いつまでに成果を創りますか?
そしてそれは何のためですか?
自分の成長と自分のビジョンを実現するため、周りの幸せに貢献するため
貢献とは何ですか?
自分から溢れ出るもので相手に与えたくて与えること
リソース招待断られることはたくさんある
自分に矢印を向けない
目的意識が浅い
本当に相手のことを思っているなら、受けないことを残念だと思う
相手に矢印を向けよう
そこまで相手のことを思いきるために、グランディングが必要
出来ない理由を探すな
最近松本にドローンの資格を取りにきた知人がいて、夜飲みに行ったのだがそこで話したことを忘れないようにとどめておきたい。
簡単に言うと、大人になると出来ない理由を探すようになるよねっていう話。
大人になると守らなければいけないことが増えるし、迷惑をかけちゃいけないことも増える。
そして、何かやりたいことがあっても「~だから出来ない」と出来ない理由がたくさん出てくる。
でも、そこで出来ない理由を見つけてやりたいことを諦めるのは楽。
楽なんだけど、面白くない。楽しくない。
出来ないと思ったことでも、出来ない理由をつぶしていけば出来る。
出来ない理由を探すなよ。
そんなことを知人と話した。
そこで、考えたことがある。
自分は大学時代からOasisというバンドが好きで、ずっと聞いてきた。
自分が好きになったときはOasisのバンドは解散していて、ライブに行きたくてももういけないという感じだった。
だから残念だけど諦めていた。
しかし、去年Oasisが復活して世界ツアーをやることになり、日本にも来ることになった。
めちゃめちゃ頑張ってチケットを取ろうとしたが、取れなかった。
東京ドームでライブがあったのが10/25,26
すごく残念だったけど、やることはやって当たらなかったからしょうがないと思っていたが、11/4のオーストラリアのライブのチケットが余っているという情報が入ってきた。
ここであの言葉を思い出す。
「出来ない理由を探すなよ」
そこから飛行機の時間、海外のライブのチケットの取り方、ビザの申請、パスポートの確認、会社へ相談、お客さんへ相談など10/30位の段階で一気に出来ない理由をつぶしていき、10/31に飛行機からライブのチケットなど全て取得して、11/4にオーストラリアのメルボルンでのライブに行ってきた。
結果としてはめっちゃ行ってよかった。。。。
会社を作ってからメンバーとぶつかることが多くなって、色んなやりたいことを諦めてきた。
でもそれは楽な方に流されてるだけだなと。
楽な方に流されるのは楽だけど、面白くないんだよなあと。
ここからまた自分のやりたいことを仕事でも実現していきたい。
そのためには
「出来ない理由をつぶしていく、そうすればできるよ」
相手との関係性は自分次第
この一年間位、ずっと揉めていた会社のTさんと関係性が少しずつ良くなってきている。
このTさんとの関係性には本当に苦しんできた。
自分はベンチャーだからこそリスクなども犯して攻めていくタイプと、相手はブランド化を重視して攻めずに守りをひたすら固めていくタイプで真逆のタイプ。
だからこそ、この一年間はお互いにひたすらぶつかり合い、ひたすら平行線のまま時が流れていた。
その人との関係性を良くしたいために、研修も何個も参加した。
そんな時間を一年間過ごして、今気付いてきたことがある。
2つ気付いたことがある。1つは
「人を攻撃するのは自分に不足があると考えているため、相手を攻撃して自分が正しいこと、自分は間違ってないことを実感させるため」
2つ目は
「相手から自分を守るのに精一杯で、相手に与えるという視点が抜けていたこと」
まず一つ目から考えていきたい。
この一年間、自分はTさんから責められると相手を責め返していた。
それは相手から責められたことを受け入れたら自分が間違っていることを証明する様なものだと感じがしてとても受け入れられなかった。
でもふと思う。
自分は自己否定の様な気持ちもすごく持ち合わせていたと思う。
自分が不足している存在だと感じているからこそ、相手から攻められると自己否定の沼に入りそうになり、自分を守るためにも相手を責め返していたところがあったと思う。
最近は自分は既に満ち足りていると思えるようになってきて、自分が不足しているという思いは消えてきた。
そうすると、相手から何か責められても責め返すということもなくなってきた。
自分が間違ってたら謝り、間違っていないと思ったら素直にその思いを相手に伝える。
そんなことが出来るようになってきた。
そして、2つ目の相手に与えるという視点が抜けていたこと。
この一年間、自分にとってTさんは味方ではなく敵だった。
敵だからこそ、自分の守りを固めたり、相手を責めるということを繰り返してきた。
そこにTさんに何か与えるという視点は全くゼロだった。
しかし、上記にも書いた通り最近はTさんのことを受け入れられるようになってきて、そこからTさんに与えるという選択肢が出てきた。
すると、相手に与えようとすると今までと言葉使いや態度が変わってきた気がする。
今までは敵だったので敵に対するような言葉使いや態度を取ってきて、相手もそれに反応してさらに戦いになるようなそんな感じだった。
しかし、相手に与えるという視点を持って接すると言葉や態度使いが変わり、それが相手にも伝わり、相手も責めることがなくなってきた、そんな感じ。
言葉にしようと思ってもなかなかうまく書けないが、何か掴んできてるものがある。
この掴んでるものを大切にしていきたい。
本当はどうなりたい?
昨日、大学時代からの友人で今は二児の母である人と話してきた。
昨日話したテーマは理想の自分。
その人は大学時代からいつも夢を持っていた。
社会人になって、その夢を追い続けていた。
結婚をした、子供が生まれた。
その人は専業主婦になった。
その人から夢の話を聞くことはなくなった。
旦那さんの愚痴をよく聞くようになった。
いつも会うと鬱の手前だと言うようになった。
そんな中、昨日は理想の自分というテーマで話を聞いた。
最初は理想の自分なんてないと全く言葉が出てこなかった。
ただ、聞いていくうちに大学生の時から持っている夢の話がたくさん出てきた。
理想の自分はやっぱり夢を追いかけたい。
でも、現実の自分は家にずっといて子供たちを見ている。
子供はかわいい、だけどすごく我慢しているところがたくさんある。
それでも、こうなりたい。ああなりたい。
理想の自分が見えてくると、そのためにこうしていこうという案が相手からたくさん出てきた。
それを聞いて自分は応援したくなった。
理想の自分。
普段あまり考える機会は少ないかもしれない。
でもやはり理想、希望はとても大切。
こうなりたい、ああなりたいがあるから力が湧いてくる。
ホントは自分の理想を知っているはずなのに忘れてしまう。
忘れたら思い出そう。
また日が経つと忘れてしまう。
忘れたら思い出そう。
大事なのは忘れたままにしないことだと思う。
そんなことを感じた昨日でした。
自分の隠れた気持ちに気付いてあげる
ここ半年間程、会社のメンバー2名とずっとぶつかってきた。
価値観や考え方の違いでぶつかってきた。
そのなかの一人とはお互い思っていることを分かち合い、どの様なことが嫌でどの様に伝え合ったらいいかなど腹を割って話すことによって、関係性をより良くすることができた。
ただ、もう一人とは腹を割って話してもずっと関係性は良くならず、お互いを否定し合う様なそんな関係性だった。
そんな半年間ずっとぶつかってきた一人とようやく関係性をより良くすることができた。
関係性が良くなったのはその人と何かが起きたのではなく、自分の中での変化があった。
この半年間、自分はずっとその人のことを許せない気もちを握りしめ続けてきたが、その人のことを許せるようになった。
なぜ許せたのか少しここで言葉にしてみたい。
大きく合った出来事は二つ。
1,相手ではなくまず自分を許せたら、相手を許せるようになった
2,自分が相手からたくさん傷つけられたことを受け入れたら許せるようになった。
1からまずは見ていく。
ここ半年間、相手のことはもちろん許せなかったが、相手と否定し合う関係を作り出している自分のことも攻め続けていた。
その人との関係性をより良くしようと色んな事を試みたが、結局全てうまくいかずに、そんな自分に情けなさみたいなものを感じていた。
しかし、その自分を許す機会があり、ベストを尽くしている自分に○をつけることができた。
自分を許せたら次に2が起きた。
自分は今まで自分は敵対している相手に対して自分が傷ついたとか悲しいとか思ったら負けだと思っていた。
しかし、自分を許すことができたら、自分がその人の関係性の中でたくさん傷ついて、悲しさをたくさん感じてたことを素直に認めることができた。
自分はたくさんこの人との関係性のなかで傷ついてきたなあ。。
大変だったなあ。。
この様に認めることができたら、なぜか相手への憎しみみたいな気持ちがなくなり、相手を許すことができた。
そこから相手と話すときにその様な憎しみがなくなったので、あまりもめることもなくなり、普通にコミュニケーションをとれるようになった。
言葉ではうまく言えないけども、自分の気持ちをしっかりと認めてあげることが大切なんだろうなと思った。
傷ついていたと認めてあげたときに、心が「ようやく自分のことを見てくれて嬉しい」と言われているような気もした。
これからも色んな事が起こると思うが、自分の気持ちをしっかり見つめてその気持ちを大切にしてあげたい。
縄文杉から学んだこと
この土日に屋久島に行ってきた。
一番の目的は縄文杉を見に行くこと。
名前だけは知っていたけど、名前以外はほぼ何も知らなかった。
この屋久杉というのは1000年以上生きている杉を屋久杉と言うらしい。
その中でも縄文杉はほんとかどうか定かではないが、7,000年生きているという説もある。
そして、屋久杉は死んでも腐らないという性質を持っているため、もし死んだとしてもあと3000年くらいはその場にあり続けると聞いた。
7,000年前から存在していて、これから3,000年くらいその場にい続ける
それと比べたら自分の人生なんてほんとにちっぽけだなと。
そして、自分たち人間は大体100年位で必ず死ぬと言うこと
縄文杉から見たら100年の期間なんてほんと一瞬で、縄文杉が生きている間に数えきれないくらいの生き物が生まれて、その全ての生き物が死んで、また新しい生き物が生まれる
縄文杉を見て一番感じたことは、自分もいつか死ぬんだなあということ。
死ぬことは確定しているわけなので、どうせ生きるならやっぱり楽しくいきたいなあと。
そんで、どうせ死ぬんだからやっぱり冒険したいなあと。
お金の面とか将来のこととか色々考えて不安になったりもするけど、どうせ絶対に死ぬんだから。
そして地球や縄文杉から見れば自分の死なんてものは全くたいしたことではない、数えきれないたくさんの命が一つなくなるだけ。
なんかそう考えると、自分の人生や命を大事に考えすぎかなとも思う。
もっとわがままにもっと楽しくもっと冒険して自分の命燃やし切った~、やり切った~と言って死にたいなあとしみじみ思う。
どうせいつか必ず死ぬ、そして自分が死んでも地球的にも世の中的にもそんなにたいしたことではない。
ならもっとネジを外して鎖を外して解き離たれて生きてもいいんじゃないかと。
縄文杉をみてそんなことを感じた、行ってよかった。