この世の中、世界をどのように見る?
今日は二日間キャンプに行き、思ったことを書く。
キャンプ自体はものすごく楽しかったのだが、一緒に行った仲間に少し違和感を感じた。
それは楽しもうとしない姿である。
川に入ろうとしても、火を起こそうとしても、夜空の星を見ようとしても彼らは楽しもうとしていなかった。
基本いいやのNOの断りが多く、仕方なく自分一人で行うことが多かった。
自分としては川にも入り、火を自分で起こすのは楽しい。
もしかしたら彼らはそのようなものに興味がないのかもしれない。
そうなるとこれは価値観の違いということになる。
しかし、それならなんのためのキャンプか分からない。
ただテントの中にいるだけなら家にいるのとなんら変わりはない。
僕はそれが不思議で仕方なかった。
僕はこの世の中は見方によっては輝きに満ちていると思っている。
川で遊ぶのも星を見るのも人によってはものすごい至福の時間になる。
しかし、これはまずそれらを楽しいものとして見えなければできないことである。
ではなぜ楽しく見える人と見えない人で別れるのだろうか。
原因は二つあると考えていて、一つ目は単純に価値観の違い。
もちろんアウトドアが好きな人もいれば嫌いな人もいるのは当然だろう。
もう一つは世の中をプラスで見ているか、マイナスで見ているかである。
例えば
「今10秒で周りの物を覚えてください」と言うのと
「今10秒で周りの赤いものを覚えてください」と言うのでは見えるものが全く違ってくる。
一回目の人は赤いものなんて目につかなかっただろうけれど、二回目の人は全て赤いものは見えたはずだ。
これを現実の世界にも置き換えて考えたい。
幸せなことに目を配っている人間は色んな幸せが自分の周りにあることに気がつくが、特に目を配っていない人間はそれに気つかない。(上の例に同じく)
逆に悲しいことやネガティブなことに目がいってしまう人はこの世の中は悲しいことばかりに見えてしまう。
これは幸せなことを見つけようとする方がより幸せになる確率が上がるという論理的に示された内容である。
つまり、何が言いたいかというと、先ほどの話に戻すと、物事が楽しく見える人と見えない人が別れる理由の一つは価値観の違いで、もう一つは自分をどのチャンネルに合わせているかの違いであるということ。
そして、物事を楽しく観れる方が人生楽しいし、それを見つけれる自分でありたいと思う。
そんなことを感じたキャンプだった。