愛されることはコントロールできないが愛することはコントロールできる
久々のブログ。
最近やっぱりこのように書くことがすごい大事だなと実感している。
まず書くと自分の考えが可視化できるので、自分の考えがすごいまとめられる。
そして、アウトプットという面でも活用できる。
さて、今回は少し恋愛のことについて書いていきたい。
僕は最近恋愛をしている。
恋愛をしている中で、非常に精神が不安定になることが多い。
例えば会えない日が続くと、ものすごい苦しくなったり、彼女が男と会っていると少し不安になったりと。
無駄に寂しくなって無駄に落ち込んだり。
改めて最近恋愛は論理じゃないなーと思う。
いくら理論的に何をしなきゃいけないとわかっていても、感情がそれを大きく邪魔をする。恋愛は感情だ。
そう、恋愛は感情である。
愛とはなんだろうか。
「愛」という言葉だけ聞くといい言葉だけに聞こえる。
しかし、愛とは美しいだけではない。
苦しいことも悲しいことも楽しいことも嬉しいことも全部含めて愛なのである。
人間は愛を求めている生き物である。
おそらく「愛」がなくなれば人間は自殺すると思っている。
それほど愛というのは偉大で、美しいものであり、だからこそ皆手に入れたいと願う。
そしてその愛というのは簡単に手に入れられないようになっている。
簡単に手に入れられればこの世の中の皆幸せである。
愛というのは偉大でそして難しい。
この今苦しんでいる全てを含めて愛なんだ
だから今苦しんでいることは異常ではなくむしろ正常である証拠。
そして今日は一ついい言葉に出会えた。
「愛されることは自分の意思で実現できなくても、愛することは自分の意思で実現できる。愛されることは自分にはコントロールできなくても、愛することは自分の力でコントロールできる。愛されることを欲しているときは辛いけど、愛することを決めたときは幸福を感じる。」
これは面白い意見だ。
以前の彼女の由香の時は別れる原因になったのはこれじゃないかなと。俺は由香に愛されることを期待していた。自分から愛することを途中から忘れていた。
でも今は違う。不思議なことにひたすら愛したいという気持ちが強い。
だから愛されないから悲しいというよりは愛せないから悲しいという同じ悲しいでも大きく変わってきている。
ちゃーのことを一杯一杯愛そう。
これでもかってくらい、相手が嫌になるくらいまで愛そう。
とにかく愛して愛して愛しまくろう。
嫌われてもいいから俺の気持ちを全てだそう。
出さないで嫌われるより出して嫌われた方がいい。
ちゃー、愛している。