syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

欲しいものが全て手に入ったらどうする?

もしも、自分が望むものが全て手に入ったらどうなるのだろう

 

自分がもし望むもの全てが簡単に手に入ったらと考えてみた。

いつでもどこに行けて、会いたい人にいつでも会えて、バイクや車などほしいものはなんでも買えて、好きな料理はなんでも食べられる

そして自分がやりたいと思ったことは全てできて、例えばサッカーでチャンピオンズリーグで優勝したいと思ったらすぐに優勝を経験できる

 

最初想像してみると、すごく最高じゃん!とか思ったけども、リアルに想像すると全く面白くないし、辛くなる気がする

 

なぜなら、達成できた時の喜びがほぼ無くなってしまうから

 

そこにいくまで苦しい思いや辛いことがあるからこそ、達成できた時にものすごく喜びを感じるんだよね

 

ポケモンで例えるとわかりやすいかも

 

クリアするまではすごく楽しくて止まらないけど、クリアして自分のポケモンが100レベルになってしまったらそこからはつまらなくなる

 

全クリした後、誰もが同じことをしていたと思う

 

データを全て消して、最初からやり直す

 

100レベルのポケモンがいると、もう負けることがないからつまらなくなってしまうんだよね

 

そう考えると、僕たちは勝つか負けるかのギリギリの勝負が好きなのだと思う

 

そして、成長することが好きなんだと思う

 

もしポケモンのレベルが変わらず、ジムリーダーに全く勝つことが出来なかったら全く面白くない

 

どんどん成長するにつれて、いろんなポケモンが出てきて、次々にいろんな強い相手が出てくるから楽しい

 

これを人生に置き換えてみるとどうだろう

 

僕たち人間は成長してできることが増えて、勝つか負けるかギリギリの勝負をするのが好きだと仮定する

 

そうすると案外、今目の前のことがうまくいかないのは自分が今楽しんでいる真っ最中なのかもしれない

 

てかそう考えると、物事ってそんな簡単にうまくいかないのは当たり前だ

 

ポケモンもらって簡単にジムリーダー倒せたら何も面白くない

 

ジムリーダー倒すまでにポケモンのレベルを上げて、いろんなポケモンを集め、ジムリーダーに何回も敗れて、それで倒せた時がものすごく楽しい

 

だから、今なにかうまくいかないことがあることに落ち込む必要は全くない

 

むしろ、まだ100レベルになっていない時点で、すごくラッキーなことだ

 

だって、ポケモンで100レベルになったらまた最初からやり直せるけど、人生100レベルになっても最初からやり直せないからね

 

だから人生はめっちゃ鬼ゲーとして設定されてると思う

クリアされたらやり直すことできないし、みんなめっちゃつまんなくなっちゃうからw

 

なので、むしろうまくいかないことがあるときは、「ラッキー、これでまだまだ人生を楽しめる〜」と思うくらいがちょうどいいのかもしれない

 

そう考えると、人生もポケモンと同じで、死んだ後またリセットして最初から始めてるんじゃないのかなとも思ったりする

 

だって、今全部知ってることを知ったまま赤ちゃんから生まれてきても多分生きる楽しさ半減すると思う笑

 

ハイハイできます、歩けます、しゃべれます、勉強知ってます、部活知ってます、海外知ってます

 

子供の楽しみを全て奪うよね

 

何も知らないからこそ、それを知った時の喜び

何も出来ないからこそ、それが出来た時の喜び

 

これが人生を面白くしているんだと思う

 

だから、何回も繰り返しになってしまうが、今何かできないことやうまくいかないことがあっても全く問題ない

 

だって、それが人生を面白くしてるんだからむしろウェルカム!

 

うまくいかないことウェルカム!

 

そう考えると、僕らは何度も死んでは何度も生まれてきてるのかもしれない

 

それは人生というゲームを楽しむため

 

間違っても苦しむだけために生まれてきたのではない

 

楽しむために生まれてきているんだ

 

ということで、欲しいものが全て手に入ったらそれはそれはつまらないだろうよという話でした

生きてるだけですごいこと

今日はツイートで、日本では年間10万人自殺者がいるというニュースを見た

 

公式では年間3万人とされているが、それは遺書があった場合の数で、遺書がなかった場合は約10万人に上るという

 

10万と言えば、キングダムなどで出てくる戦争の兵士の数がまかなえてしまうくらいの多さだ

 

だからまずは生きてるだけですごい

 

死んでない、生きている

まずそれだけでも上のようなことを知るとすごいことだと思う

 

ただ、生きてれば辛いこともあるけど、嬉しいことや生きててよかったと思えることもいっぱいある

 

自分がどちらを見るかという選択をしているだけ

 

辛い方を見ようと思えば、この世界はいくらでも辛くなる

 

嬉しいことを見ようと思えばこの世界はいくらでも明るくなる

 

結局どちらを見るかを選択しているのは他でもないこの自分

 

自分が見たいものを見ているだけ

 

自分はどうせだったら楽しく生きたいので、そういう嬉しいことや楽しいことを見るようにしている

 

10万人も自殺者がいるこの世界

 

まずこの社会はおかしいと思う

なぜなら10万人もの人が自分で命を絶つという決断を至るに至っているから

 

なので、世界はもっと変わってかなければいけないし、一人一人も悲しい方ばかりを見るのではなく、嬉しい方を見れるようになっていければなと思う

 

失敗したから終わるのではなく、終わってしまったら失敗なのだ

 

生きてる嬉しさを実感していこう

自分の生き方に自信を持とう

 今日はじめて会社の人に自分の将来のことを話してみた

 

フリーランスになることは伝えているが、農業をやってみることなどはまだ誰にも伝えていなかった

 

実際話してみると、すごく共感してもらえた

 

ある人にとっては魅力的な生き方だし、ある人にとっては悪な生き方である

 

それはみんな同じだ

 

人によって自分の生き方のいい悪いはどちらの意見もあるのだから、気にせずに自分のやりたいようにやってみよう

競争をなるべく避けて生きていけるのか

最近本で読んだのだが、人は1万時間費やせばその道で食べて行けるようになるらしい

 

1万時間か

 

今の自分のプログラミングスキルを考えてみよう

 

会社に入ったのが2年半前

 

最初の二年間は1日最低でも12時間は働いていたので、一ヶ月4週とし、一週間を5日で考えると

 

12×5=60時間

60×4=240時間

 

とりあえず1ヶ月240時間プログラミングしていたことになる

これを一年で考えると

 

240×12=2880時間

 

なので、2年間で

2880×2=5760時間

 

そんで、残りの5ヶ月は1日10時間程度働いていたので

 

10×5=50時間

50×4=200時間

 

月200時間で、5ヶ月働いたので

 

200×5=1000時間

 

よって5760+1000=6760時間

 

この2年半で約6760時間プログラミングしていたことになる

 

1万時間まで残り約3300時間

 

今までは会社の一つの大きい商品を作り続けてきた

 

だから、その会社の商品を作ることに関してはかなり慣れてスピードもついたと思うが、それ以外のものを作ったことが全くと言っていいほどない

 

実際、今1からサイトを作るということをしているが、ものすごく時間がかかっている状況だ

 

なので、残りの3000時間は自分で1から作るという経験に当てたい

 

そして、これからは少しプログラミングの時間も減らしていきたい

 

1日5時間ほどにして、残りの時間を別なことに費やしたい

 

正直プログラミングだけで、将来食っていくイメージもしていない

 

プログラミングと何かを掛け合わせていきたいと思っている

 

プログラミングだけで1万時間費やしている人はものすごく多い。

その中で勝負するには厳しい競争が待っているだろう

 

しかし、プログラミングに1万時間かけ、その他のもう一つのことに1万時間かけていたらどうか

プログラミングスキルはトップレベルには全く及ばないが、その他の1万時間かけたものの中ではそのスキルもある中で、プログラミングスキルもあるというのは非常に貴重な存在になる

 

しかもさらにもう一つ1万時間かけられるものがあれば最強だ

 

プログラミングだけでは厳しい競争が待っているが、上記のような工夫をすれば競争相手は一気に少なくなる

 

なので、プログラミングは1日5時間で、年間1000時間、3年で3000時間かけ、1日の他の時間は別なことに使っていきたい

 

といっても、何に費やすかがものすごく難しい、、

 

とりあえず、この半年は自分のなんとなくやりたいと思っていることを、やりつくそうと思っている

 

その中から選べればいいなと

 

世の中は競争で勝つことがすごく大切なこととされているが、正直なところあまり競争は好きではないので、いかに競争から離れて生きていくかを考えて行動していきたい

失敗の先に自分が生きたい道に行ける

失敗

 

今までの人生を振り返った時に、この失敗というものを自分はすごく恐れていた気がする

 

高校、大学受験、サッカー、大学時代、社会人時代

 

どこか心の内で、「失敗してはいけない」、「失敗は恥ずかしいこと」という考えが強く自分にこびりついており、人から笑われないように、失敗しないように生きてきた

 

あまり、自分で意識したことがなかったが、失敗への恐怖がものすごくある

 

なぜ失敗へ恐怖があるのだろうか

 

→何かに失敗して人に馬鹿にされたり、笑われたくない

なぜ馬鹿にされたくないの?

→自分がダメだという劣等感が生まれるから

なぜ劣等感が生まれるの?

→失敗すると周りの人より下だと感じるから

 

ふと思い返すと僕らは小さい頃から「できない」ことがものすごくいけないことのように感じて生きてきた

 

テストや部活など、できる人はすごいけど、できない人はクズのような分類がされてきた

 

そして、できない人がいると多くの人がその人を馬鹿にするような学校生活を送ってきたと思う

 

なぜ失敗がここまで恐怖なのか考えてみたんだけども、逆に失敗した人がいたらどう思うか考えてみた

 

もちろんその失敗した人のストーリーや性格によって変わるかもしれないが、正直なところ自分は多分少し馬鹿にしたような感情を持ってしまってると思う

 

それは学生時代も同じだ

 

少し話がそれてきたので話を戻そう

 

なぜ失敗にそれほどの恐怖心を持つのか

 

自分の出した答えはすごくシンプル

 

自分が馬鹿にしてたものに自分がなりたくないからだ

 

小さい頃からできる人はすごい、できない人はダメという環境で育ってきた

 

ニュースやネットでもその傾向はものすごく強い

 

失敗した人やできない人は馬鹿にされる

 

そのような気持ちを毎日持つ

 

そうすると、失敗してはいけないと自分の中でどんどん強くなっていく

 

なぜなら、自分が馬鹿にしているものに自分がなりたくないからだ

 

 

しかし、本当はそんな話じゃないはず

 

そんな比べて馬鹿にしたりするものじゃない

 

失敗とはなにか新しいことを経験して、次につなげるものである

 

別になんも悪いことではない

 

悪いものにしてるのは他でもないこの自分

 

一番の克服はまず失敗してしまえばいい

 

そうすればまず失敗への恐怖がなくなる

 

なぜならもう失敗してしまっているから

 

そこからさらに失敗の考え方を変えていけばいい

失敗は成功の元

初めまして。

私は逸見くんと同居しているKと申します。

 

今回は縁あって、このブログに寄稿したいと思います。

 

ではまず、なぜ今回私がこのブログを書くことになったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理由はありません。

なのでこのまま続けます。

 

今回は”失敗”について書きたいと思います。

 

失敗というとなんかマイナスのイメージがあるのは

皆様共通認識のことだと思います。

私ももちろん、そのように思います。

 

では失敗の対義語である成功というと

皆様どのようなイメージを持つでしょうか。

 

もちろんプラスのイメージでしょう。

 

ここで視点を変えてみましょう。

 

しっぱいの”し”を”お”に変えたらどうなるでしょうか。

 

”おっぱい”です。

おっぱいですよ、おっぱい。

 

”し”を”お”に変えるだけでなんだかワクワクする

プラスのイメージになりませんか?

 

まぁそんなことはどうでもいいとして、

 

私が言いたいのは

常に視点を変えて考えて見ろということです

 

さてここからが本日のテーマの核心です。

 

 

 

 

 

私がもっとも声を大にしてお伝えしたいのは、

 

成功の対義語である失敗という言葉は

決してマイナスイメージだけではなく、プラスイメージもあるということです。

 

 

考えてみてください、

失敗という字をよく見てみると

 

 

失敗→”敗け”を”失う”

つまり敗けを失ったら、あとは勝つしかない、

つまり成功するしかないという意味なんです。

 

 

故人たちは上記のことをうまく言ったもんです。

失敗は成功の元

と。

 

 

明日からまた天気が崩れるようです。

みなさん、安全に気をつけて出勤しましょう。

 

おわり

睡眠は大事

昨日は野宿で寝たけど全くほとんど寝れなかった

寝れないと頭が全く働かない

その日の一日を幸せに過ごせるか、過ごせないかは睡眠の質も大きく影響する

毎日睡眠の質をしっかり高めよう