答えは自分の中にある
前も同じような記事を書いたが改めて大事なことだと思ったのでもう一度書こうと思う。
今僕はカンボジアにいて、毎日色んな人と会う。
30人で食事などもしょっちゅうである。
その中にいると、なんかうまく振るわなければならないという緊張感が生まれる。
そのプレッシャーみたいのが僕はものすごい嫌いだ。
僕は基本自然が一番いいと思っている。
話したいことがあれば話せばいいし、話すことがなければ話さなければよい。
少人数ならそれでもいいが、集団になると全く変わってくる。
話していないグループがあると、あそこは仲が良くないという感じで劣等感が生まれたりする。
この様な集団になると正論がねじ曲がる、無駄な圧力が生まれるから集団は嫌いだ。
今このように述べてきたが、これは僕が自分の中で考えて生み出した答えである。
しかし、今は情報社会なので、色んな答えがあり、検索すれば簡単に答えを外から手に入れることができる。
この外から持ってきた答えと、自分の中で生み出した答えというのは恐ろしい違いがある。
この違いとは何だろうか。
考えていく。
まず、僕は外からもらった答えとは自分のものになっていないというイメージがある。
なぜ自分のものになっていないかというと、外からの答えは一瞬のインプットで終わるが、自分の中から出てくるものは自分の中でものすごい考えてひねり出てくるものである。
少しわかりずらいので例えを用いる。
数学の問題に置き換えて考えてみる。
数学の問題でわからない問題があったときに、答えだけを見るか、導き方を自分で理解するという二手段がある。
外からの答えというのはこの答えだけを見るという行為と同じで、確かに一瞬で答えは分かるが、もう一度同じ問題をやった時に導き方を理解してないから解くことができない。
そして、自分の中からの答えというのは導き方を自分で理解するということ。答えまでの導きがわかっているから別の問題が出てきても解くことが出きる。
まとめると、外からの答えというのは、確かに答えは知っているけど中身は全く分かっていないということになり、それはつまり理解していないということである。
つまり、外からの答えと自分の中からの答えの違いというのはその答えを理解しているか、いないかという違いである。
理解していないのに知ってるつもりになっていると、ぞっとするね。