syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

生きること、死ぬこと、どちらともたまらなく美しい

生きる、死ぬについて深く考えてみたい。

 

今日あることに改めて気づいた。

 

自分は普段の生活で「死」を意識していない。

 

死ぬ覚悟を持っていない。

 

この覚悟を持っていないから何もかもが中途半端だった。

 

僕は一度エジプトで死にかけたことがある。

その時に感じたことは自分の人生幸せだったなあということ。

 

この世の中に生まれて、両親、祖父祖母に愛され、小中高も友達に恵まれ、自分の好きなことをやって、大学になって色んな経験して、大好きな友達が何人もできて、もう皆に会えなくなるということが何よりも悲しく、自分の人生が幸せだったこと、もう皆に会えないということで、涙がとまらなくなった。

 

「死」を本当に身近に感じると「生きたい」と思う。

 

自分の存在がこの世の中からなくなることがとてつもない恐怖に感じる。

 

ふとここで疑問に思った。

俺は普段の生活でどれくらい「生きたい」と思って生活しているのだろうと。

 

死を意識すると生が充実すると聞いたことがあるがあれは本当だと思う。

植物から始まり、動物、そして人間。

この全ての生物達が自分の存在がなくなることを非常に恐れている。

 

だから、子孫を残して自分は死ぬが自分のDNAは残して生き続ける。

自分の存在をつなぐために。

 

「死」は本当に怖い。

 

もうみんなと人生を共にできないと思うと本当に悲しい。

 

だってそこには楽しい未来しかないんだから。

 

皆と色んなことを一緒にやって、色んなことを話して、たくさんの涙を流して、たくさん笑って、たくさん喧嘩して、たくさん幸せ感じて。

 

それを皆と過ごせないのはものすごく悲しい。

 

もっともっと幸せを感じたい。

もっともっと生きていたい。

 

でも、人は死ぬこともしっかり受け止めなければならない。

なぜなら「死ぬ」ということは「生まれる」ということだからだ。

 

もしこの世に「死」が存在しなかったら新たな命も生まれなかっただろう。

なぜなら死なないから増える一方だからである。

 

「死」があるから新しい「命」が生まれるのだ。

僕たちの先祖が死んだから、僕らが自分が生まれたのだ。

 

だから「死」とは素晴らしいものでもあるのだ。

「死」とは「生まれる」ということなのだ。

 

だからいつ、たとえ明日死ぬことがあってもそれは悲しいことではない。

確かにこれからの人生を皆と一緒に歩めなくなるのはとてつもなく悲しい。

 

しかし、それは僕たちがこの世界に生まれてきたように、また新たな命の誕生となる瞬間なのだ。

それはとても美しい。

 

何が言いたいのかわからなくなってきた。

 

つまり、まずはもっと「死」を意識しなければならない。

今日自分の存在が消えるところを想像すると、この「今」がものすごい愛おしいものであり、有限であることを思い知らされる。

 

だからこそ精一杯に生きよう。

目の前のことをただひたすらに頑張ろう。

 

頑張って頑張って頑張って最後死ぬときに

 

俺の人生、常に全力を尽くせたなあ

精一杯生きれたよ

皆、ありがとう

 

と胸を張って新しい命へとバトンタッチをしたい。

 

死ぬことは確かに怖い。

でもそれは悲しいことばかりでもない。

 

美しいことでもある。

 

だから、今というこの時間をただひたすらに精一杯生きよう。

 

そこに幸せのヒントは隠れているはずだ!!

 

皆、生きよう!!!

生きて生きて生きて生きまくろう!!!