対価がしっかりと理解できれば人間は行動できる
最近はいい感じで仕事ができていたのだが、昨日の夜はダラけてしまった
一日だけダラけただけなのに、罪悪感がすごく、なんでそんな罪悪感が出るのか考えてみた
自分は「好きな時に好きな場所に行けて好きな人と好きなことをする」を目的として行動している
ただ、だらけることはこの目的に全く向かっていない行動
自分が決めた目的から外れてしまったから罪悪感を感じているんだと思う
なぜダラけてしまったかというと、疲れていてちょっとゆっくりしたかったから
将来の目的と目先の楽さを天秤にかけて、自分は目先の楽さを取った事になる
なぜ目先の楽さを取ってしまうのか?
それは対価がしっかり理解できていないからだと思う
例えば毎朝1週間ランニングを続けたら100万円もらえるとする
そしたら、ほぼ全ての人が1週間朝にランニングを続けられるだろう
これは100万円という対価がもらえることが分かっているからである
逆に朝ランニングをすると決めても続かないのは自分でその対価をしっかり理解できておらず、起きた時のめんどくささと比べた時にめんどくささの方が勝流のだろう
なので、人間はちゃんと自分の利益になるなら行動できる生き物
これを自分の目的で考えてみようと思う
自分の目的を達成するためにはフリーランスでの仕事がうまくいくことが大前提になる
フリーランスの仕事でうまくいくというのは世の中の人たちへの貢献が増えるということ
では、世の中の人たちへの貢献が増えることで、自分にどんな対価があるのか
・お金に困らなくなる
・親やじいちゃんばあちゃんに仕送りができる、旅行に連れて行ける
・友達といつでも好きな時に会える、友達と旅行に行ける
・いろんな人から感謝される
・旅行に行くことができ、海外にサッカーを現地で見に行けることができる
・美味しいものがいつでも食べられる
・田舎暮らしができる
・山雅の試合をいつでも見に行くことができる
・嫌な仕事は断ることができ、好きなことだけを選択できる
では逆に世の中の人たちへ貢献することが減ることで、自分にどんな対価があるのか
・お金が常に無い生活
・親やじいちゃんばあちゃんに仕送りできないし、旅行にも連れていけない
・友達と会うことができない
・誰からも感謝されない
・旅行に行くことができない
・美味しいものが食べられない
・田舎暮らしができない
・山雅の試合を見に行くことができない
・嫌な仕事を断ることができない
これを見たら仕事を頑張るか、頑張らないかは明確の差だ
辛くなったりダラけたくなったらこれを見てちゃんと対価を意識するようにしよう