生産と消費のバランス 生産が多くなればなるほど消費も増えていく
これまでの自分の人生を軽く振り返ってみる
高校卒業までは特に何も考えてなかった
なんとなく高校に入り、なんとなく大学に入った
大学時代に「嫌われる勇気」という本を読んだ
そこで自分が人から嫌われることに怯えていたこと、そして他人の人生を生きており、自分の人生を生きてないなと思った
なので、自分中心に考えて自分自身のために生きるようになった
相手が何を言おうが関係ない、俺は俺の好きなようにする
そのような考えで社会人になった
社会人になったら上司が嫌いだった、朝から深夜まで働いてすごく精神的に疲れてしまった、そんな時周りに自由にフリーランスとして生きている人に憧れた
なので、会社を辞めた
会社からは辞めたら困ると言われたが、俺は俺の好きなようにすると決めていたので会社を辞めた
そして、フリーランスになった
しかし、仕事がなかった
そうすると毎日何も生産せず、自分の好きな漫画やゲームなど消費だけを繰り返す日々になった
そうすると次にお金がなくなった
おかしいなと思った
自分は自分のために自分の生きたいように生きているのに
そこで気づいた
消費だけで生産をしないとお金がもらえないのでこの世界では生きていけない
消費をするためにはお金がいる
消費をしないと生きていけない
食べるのも移動するのも家に住むのも全て消費だから
生産しようと決意
ここでいう生産とは人からありがとうと言ってもらう行動をすること
その感謝の気持ちが高ければ高いほどお金として自分に返ってきて、感謝の気持ちが低いほど自分に何も返ってこない
ここで気づく
生産と消費はバランスが大事だと
消費だけでは上のようにお金がなくなり生きていけない
そして生産だけでも人は苦しくなってしまう
会社でひたすら働いている人がそうだ
平日は終電、土日も出勤している人は生産ばかりで消費は最低限のもののみ
生産だけでも苦しくなってしまう
なので、生産と消費、この2つはどちらも大切
そして、生産が多くなればなるほど消費も増えていく
つまり、ありがとうをもらえる数が増えればそれだけお金として自分に返ってきて、出来ること・やれることが増える
この人間の世界はみんな与え合って生きている
今の自分の周りを見渡してみよう
家、ソファ、ベッド、自転車、自動車、電車、コンビニ
これら全て自分の知らない人が作ってくれたものである
上のものに関わった人を数えるとキリがない
家ならば設計から始まり、部品を作る人、木材を切る人、それらを調達する人、実際に家を作る人、家を売る人
家だけでも上記は一部であり、いかに自分が色んな人に関わって生きているかがよくわかる
話がそれたので戻す
この人間の世界はみんな与え合って生きている
与えているそのものこそが仕事だ
なので与えれば与えるほど、それが大きいほど、自分に返ってくる
与え合って生きているので、与える事柄が大きい人は賞賛されて当たり前だ
逆に与えることではなく、自分自分と考えてしまうと苦しくなる
なぜ自分自分と考えてしまうと苦しくなるのか
それは真理が見えなくなるから
これだけだと意味が分からないと思うので、簡単な例を紹介したい
地動説と天動説はご存知だろうか
天動説とは太陽や星が地球の周りを回っているという考え方
地動説とは地球の方が太陽の方を回っているという考え方
言い方を変えると
天動説とは主観的(自分が中心)という考え方
地動説とは客観的(自分が中心ではなく自分は全体の一部である)という考え方
人間は生まれたばかりの頃は自分中心である
赤ちゃんの頃を思い出して欲しいが、その頃から自分は全体の一部であるなんて考え方をしている赤ちゃんはいない
みんな自分中心に考えている
しかし、大人になるにつれて社会に入っていくにつれて徐々に自分は全体の一部であるという考え方になってくる
さて、話がそれてきたので戻す
問題であったのは「なぜ自分自分と考えてしまうと苦しくなるのか」
その答えはこの天動説と地動説の中にある
例えで考えていく
ここに言うことを聞かない自分の子供がいるとする
その時、天動説、地動説の人はそれぞれどのように考えるか
まずは天動説、自分中心に考えている人から見ていく
自分の子供が言うことを聞かなかった場合、この人たちは「なぜ自分の言うことを聞いてくれないのか」と苦しくなる
それで子供が悪いと決めつけ怒鳴りつけたり、自分のしつけが悪いなどと思い落ち込んだりする
一方、地動説、自分は全体の一部であると考える人はどうか
自分の子供が言うことを聞かなかった場合、この人たちは自分を中心に考えていないので、なぜこの子供は自分の言うことを聞かないんだろうと考える
一つ上の目線から客観的に子供を見つめて、原因を探る
すると、自分が忙しくて子供と関わる時間が少なく、子供は寂しく愛情が不足していたから言うことを聞かないなど、原因がわかるようになる
それによって、もっと子供と一緒の時間を増やそうという解決策が生まれ、子供を満足させることができる
ふー、まとめるのが難しい、、
つまり、自分は全体の一部であると考えると、自分の周りに起こる物事を客観的に見れるようになる
客観的に物事を見れると、問題の原因がしっかり見えるので物事を解決できるようになる
それはつまり、喜んでくれる人がどんどん増えていくということ
しかし、自分中心に考える人は物事を主観的に見てしまい、自分が中心になってしまうので問題の原因を勘違いする
先ほどの例で言えば言うことを子供が悪いなどの原因にしてしまう
そうすると、そもそも問題の原因が間違っているので、物事を解決することもできない
それはつまり、周りを喜ばすことができず、悲しむ人がどんどん増えていくということ
もちろん、これは一概には言えない
しかし、実際起こることだと思う
なので、自分中心に考える人は自分がどんどん中心になっていくたびに、どんどん苦しくなっていく
それは真理が分からず問題を解決できないため、悲しませる人を増やすから
なので、まずは自分は全体の一部であると考えることが大事
そして、それをさらに突き詰めていくと「感謝」に繋がってくる
例えば歴史で考えてみる
人類が誕生して、色んな戦争などの悲劇があった
でもそこで人類に貢献した人たちがいたからこそ今がある
好きな人と結婚できること、戦争が無い中で子供を育てられること、子供にたくさん食べ物を与えることができること
それらは決して当たり前ではないという考え方になる
色んな数えきれない人たちが未来を良くしようと貢献してきてくれたから今この素晴らしい時代を生きられている
そして、食べ物に関しては豚や牛、そして野菜など命を頂いて自分は生きることができている
上記のように、考えられると常に「感謝」の気持ちを持つようになる
それは自分が「生かされている」という感覚になってくる
そのように感じれるだけで、毎日色んなことで幸せを感じることができる
なので、まとめると自分中心で考えるのではなく、全体の一部であると考えることが大事
そして、それを突き詰めていくと日々の生活に感謝の気持ちが生まれ、幸せを感じることが増え、さらに自分もより貢献したいという気持ちになっていく
ここまで考えてきて、一つ疑問に思ったことがある
それは「嫌われる勇気」の本の中にあった、承認欲求を否定せよという言葉だ
この著者は承認欲求に従って生きていると、他者の人生を生きることになる、
なので、承認欲求を否定して、自分自身のために生きなさいと言っている
これは自分がそうだったのだが、自分中心に生きなさいと捉えてしまう人も多いと思う
でも、この作者が言いたいことはそういうことではなく、今までの話を全て含めた上で、あなたがこの世界に貢献する方法はあなた自身が選択しなさいということだと思う
色んな人が色んなことをあなたに貢献してほしいと頼んでくる
しかし、あなたのできることは有限だ
その人たち全てに貢献することはできない
そして、そのようなことを全て貢献していたらあなたは他者の人生を生きることになる
だから、承認欲求は否定してあなたがしたい貢献の方法でこの世界に貢献しなさい
作者が言いたいことは自分中心に生きろということではなく、上記のようなことじゃ無いかなと思う
非常に長い文章になってしまった
最後まで読んでくれた方ありがとうございます
人生の目的地を決めてから急に気つくことが増えた
目的地を決めて成長しながら人生の過程を楽しんでいこう