syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

リアル人生ゲーム

北海道に来て1週間が過ぎた

 

今日は農場に農夫の子供たちがやってきた

 

1歳の男の子と4歳の女の子と5歳の男の子だ

 

もう見てるだけで可愛い

 

ああいう小さい子供たちが幸せそうに遊んでる姿を見るだけで幸せな気持ちになり、少し泣きそうになってしまう

 

自分に子供ができたらめっちゃ幸せを感じるだろうなあ

 

そんな子供たちを見ながらふと気ついたことがある

 

 

こいつらめっちゃ楽しそうだな

 

半径数メートルの中でかくれんぼをして思いっきり楽しんでいる

自動販売機とか言って、ジュースを箱に入れてお金を入れるふりをしてジュースを出すだけでむちゃくちゃ楽しんでいる

かたつむりを見つけただけで、めっちゃ楽しんでいる

親からやめなさいと言われても自分が楽しければ親の言うことなんて聞かずに楽しんでいることを続ける

 

今日は1日その子供たちは農場にいたのだが、ずーーーーーっと何かしらして楽しんでいた

 

それを見ながらこいつらはきっと何をするにしても楽しいんだろうなーと思った

 

しかし、そこでふと考えた

 

いつからここまで全てのことが楽しくなくなるのだろうか

 

いつからカタツムリを見つけても楽しめなくなるのだろうか

 

なぜ同じように楽しめなくなるのだろうか

 

なぜ楽しめなくなるのかを考えた

 

自分が出した答えは小さい頃は人生ゲームが簡単だからだという答え

 

どういうことかというと、自分はこの世界は幸せを感じるゲームみたいなものと考えている

 

幸せをいっぱい感じられたら勝ちみたいな

 

で、生まれた瞬間から小さい子供まではすごく幸せを感じやすい

 

何をしても楽しめるし、見るモノやること全てが楽しくて幸せを感じられる

 

だから小さい子供たちは何をやるにしても楽しいのだ

 

しかし、人生100年あるとしてずっとその状態だと面白くない

 

ただの簡単なゲームほど長く続けるほど苦しいことはない

 

だから、年を重ねるにつれて幸せが感じにくくなってくる

 

タツムリを見つけるだけじゃ楽しさを感じなくなる

 

ここで、大事になってくるのが工夫だ

 

タツムリを見つけて楽しめなくても、自分が好きなことなどをやれば楽しめる

 

どう自分を楽しませていくのか

 

それが一番大きなミッションだ

 

ずっと簡単なレベルじゃつまらない

 

逆に難しすぎてもつまらない

 

今頑張っていけば達成できる、それくらいのミッションが一番楽しい

 

僕たちに課せられているミッションはただ一つだと思う

 

いかに自分を楽しませるか、いかに自分が幸せを感じられるか

 

ここだと思う

 

そしてそれは年を重ねるごとに難易度もどんどん上がっていく

 

これがリアル版人生ゲームだ

 

自分のことをどんどん楽しませてあげて、いっぱい幸せを感じよう