自分にとって生きるとは
この北海道に来てから生きてるなあとよく感じるようになった
夜21時くらいに寝て朝6時くらいに起きたとき
畑で収穫してる時
お昼ご飯を食べながらおばちゃんたちと話してる時
家に帰って川沿いを走っている時
1日体を動かした後に夜ご飯を目一杯食べた時
眠くなって21時には寝てしまう時
上記のような時、生きてるなあと感じる
会社員だったときは生きてるなあと全くと言っていいほど感じなかった
それを考えた時に、自分にとって生きるとはなんなのだろう
生きてるなあってどんなときに感じるのだろう
自分にとって生きるってなんなのだろう
生きてるみたいに生きるって言ってるけど、それってどうゆうことなのだろう
考えてみた
自分にとって生きるとはその瞬間瞬間、つまり今を喜怒哀楽を感じながら充実さを感じること
会社員の頃は喜怒哀楽がなかった
まるでロボットのようだった
毎日やることが決まっていて、1日のほぼ全てを机のパソコンの前で過ごし、ほぼ誰とも話さず食事も一人でコンビニ弁当で食べる
そんな毎日だった
喜怒哀楽もないし、充実さもなかった
楽しい時は笑って、悲しい時は泣いて、気に入らないことがあるときは怒って、何かを達成できたら喜ぶ
これが生きるということじゃないだろうか
パソコンの前で、毎日何も感情の変化もせず、過ごすのは自分にとってはそれは生きていなかった
まさに死んだように生きていた
生きるとは目一杯今を生きること
目一杯今を生きて、苦しいこと楽しいこと悲しいこと嬉しいこと全てを目一杯感じる
それが自分にとって生きるということ
俺は生きたい
生きた人生を送りたい
生きて自分の人生を振り返った時に美しいと思えるものにしていこう