一人の時間はなぜ大切なのか
最近一人で過ごす時間が全くと言っていいほどなかった。
ちゃーといつも一緒にいて確かに楽しいのは事実。
だが、それを不満に思っているのも事実。
一人の時間というのは物事を客観的に見れる気がする。
逆に複数の時間というのはそれが見えにくくなる気がする。
それはなぜか。
一人は寂しいからだと思う。
でも寂しいからこそ孤独だからこそ色んなものを客観的に考えられるのではないか。
それはなぜか。
人といると人に合わせなければいけないから。
どんなに仲のいい人と言っても二人でいる限り一人でいるときよりは確実に気を使う。
つまり、相手に合わせているから自分をまっすぐにできていない。
ここで一つの疑問。
相手に合わせているというのは相手と話さなければいけないからである。
ではたとえ複数でも話さなければ相手に合わせていないということになるのだろうか。
やっぱり少し違う気がする。
一人で物事を考えるのと、周りに人がいて物事を考えるのでは集中度が違ってくる。
それは人は基本一緒にいると話すのが当たり前だからではないか。
だから例え複数で話さずに作業をしていたとしても、ずっとその状態が続くわけではなく、どこかでまた話し出す。
一人の状態では絶対にそれが起こらない。
まとめよう。
一人の時間というのは人に合わせることなく、本当の素の自分として過ごすことができる。
しかし、それは人と一緒にいる時間と比べて寂しさを感じるものでもある。孤独は寂しいが、孤独であるがゆえにそのようなメリットもあるのは事実だ
。
逆に人と過ごす時間。
それは寂しさというものは大分なくなる。
何か安心感のようなものは生まれる。
しかし、常に相手に合わせるという形になるので素の自分としていれない。
つまり、本当の自分ではないということ。
こう見るとまた疑問が生まれてくる。
一人になると素の自分になれるのはいいことなのになぜ人は孤独に寂しさを感じるのか。
人は誰かと繋がっていたい。
ずっと一人にはなりたくない。
なぜか。
感動したいからじゃないかな。
ひとりでは感動はなかなか生まれない。
感動というのは人と関わることによって生まれてくる。
恋愛はもちろん、友情、家族。
わかった、人は愛を求めているからだ。
愛を求めているから孤独をいいものとして捉えない。
愛を求めているから人といると安心する。
ではなんで人は愛を求めるのだろう。
生きていてよかったと思いたいから。
生まれてよかったと思いたいから。
人は愛を感じる瞬間、嬉しい気持ちになる。
生きていてよかったなあと。
それを嬉しいと感じるのはもう神様の意図みたいな話にもなってくる。
神様は生き物に愛という美しいものを大切にしてほしいから、愛を感じた瞬間に嬉しさを感じさせるようにしたんじゃないかな。
しかし、一人の時間がないと素な自分と向き合うことができない。
つまり、虚の自分である。
愛は本物である。
本物は偽物から生まれない。
つまり、虚の自分からは生まれない。
なので、孤独は寂しいものであるかもしれないが、絶対に必要なもの。
そして、人と過ごす時間も大切なもの。
大事なのはそのバランス。
それが出来れば幸せを多く感じられる人生になるのではないだろうか。