謙虚さは必要か!?
今日はらっしーと久しぶりに会った。
相変わらずラッシーとの話は面白く、相変わらずラッシーには頭が上がらない(笑)
最後に一言、脳天をブチ抜かれることを言われた。
「逸見さ、謙虚さなくなったよね。確かに話も面白いし、自信も付いたと思うけど、人の話を聞かなくなったよね。」
これを言われたとき、僕は謙虚さって必要なのかよくわからなくなった。
どういうことかというと、僕は確かに昔自信がなかった。
それはむしろ自分の軸がなかったという方が正しいだろう。
何もできないし、何も考えていなかったからこそ人の話を聞くしかなく、謙虚になっていたのだろう。
しかし、僕は今は信念を持てるようになった。
そして、自分の中で何が正しいか何が違うのか判断基準が持てるようになった。
だから謙虚というものが薄くなったのかもしれない。
これだけを見てみると、謙虚さというのはある時期は必要かもしれないが、信念ができてきてからはいらないように見えてくる。
しかし、謙虚さとはなんだろうか?
この言葉はものすごい抽象的である。
僕はこの謙虚さとは「柔軟さ」であると考える。
例えば、ここに自分の信念をひたすら固く持っている人物がいるとする。
そして、この人物に知人がアドバイスするとする。
しかし、この人物は自分の信念に基づいているからその意見を聞いた瞬間、否定する
これは確かに軸がぶれないという意味では素晴らしいかもしれないが、新しい気づきに触れるチャンスを自らの手で放棄しているとも言える。
謙虚ということを柔軟という意味で考えると謙虚さというのは非常に大事になってくることがわかる。
ただ謙虚すぎてもいけない。
それだと行動基準、判断基準があやふやになってしまう。
それは自分の軸が全くないことを意味する。
なので、しっかりとした軸は必要であるが、新しい意見を取り入れるという柔軟さも必要である。
また、この信念は伝え方も重要である。
例えば目上の人と話すときに相手の意見を否定することや改善してもらいたい時にそのまま相手にストレートにいうと喧嘩になってしまう。
なぜなら誰も自分のことを否定されたくはないからである。
このような時は第三者を用いる。
どういうことかというと、例えば年上の人から聞いたんですがこれはどうなんですか?や後輩にアドバイスしながらその先輩にも間接的に伝えるなど。
そのようにすることで無駄な衝突はなくなりながらも自分の意見はしっかりと相手に伝えることができる。
大事なことは相手に気づかせるということである。
自分がいうのは簡単であるが、それだと相手が納得しない場合がある。
人間、人から言われたことを納得すれば行うが、納得しないとなかなか行動に移さないものである。
だからこそごり売りではなく相手に自分で気づいてもらうことが重要なのだ。
また、信念を出すタイミングも重要である。
相手が自分を理解してない上で出したとしてもあまり効果はない。
自分のことを理解してくれてさらに自分のことを知ってもらいたい時に出すものである。
今日はもう一つ大きな発見をした。
先ほどの謙虚の話から僕は自分の中で正しいもの、間違っているものを判断できるようになったと書いた。
しかし、僕はこれまでこの世の中に正しいことはないと考えていた。
だが、僕は何が正解で何が間違っているという考え方や、この世の中はこうあるべきだという考えを持っていた。
正解はないのにこうあるべきと思っているのは矛盾である。
なぜなら正解はないのだから。
だから僕は世の中に新しい選択肢を与えたいと思っている。
選ぶのはもちろん人それぞれだけどこんな選択肢もあるので考えに入れてみてください、というようなもの。
それを僕は自分の働き方で発信したい。
世の中にはこんな働き方もありますよと。
それが僕の使命である気がする。
さあ、自分が大好きな仲間とともに、謙虚さを忘れずに人生を歩いていこう。