syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

自己PR

大学生活で一番取り組んだこと、そこで得られたこと。今までで最も悔しい思いをしたことは何?そこから何を学んだ?

 

あー何あったっけ?

振り返ってみるか。

 

大学一年入学

4-8月

常総100km徒歩の旅、学生団体yell

8-10月

焼肉バイト

10月

カンボジアスタディツアー

11月-2月

PSF、バイト

3月

インド行く

 

大学2年

4月

セカナビ始まる

6月

セカナビ、バイト、ゼミ夏合宿

7月

セカナビ終わる、ゼミ夏合宿

8月-10月

10月講演会へ準備

11-2月、ゼミ

特に何もしない遊ぶ

大学3年

3-8月、ゼミ夏合宿

フレッツ光営業

8-9月

yell(ベンチャー企業) インターン

9月

エジプト、イスラエル

10-12月

ゼミビジネスプラン、エールインターン企画

1月

テスト、起業生活

2月

ヤマト(大手)インターン

 

一番取り組んだことは色んなことを経験すること。

これはなぜ大学に通っているのかという話にもなってくる。

自分は誤解を恐れずに言うが、大学に行くとは「立ち止まる自由」を得るためではないかと思っている。

 

今の時代、勉強しようと思えばいくらでも参考書はあるし、いくらでも勉強方法はある。別に大学に行く必要もない。学ぶことは今の時代、どこでもできる。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 

立ち止まる自由、言い換えると「現実を直視する自由」を得るために大学に通うのである。

 

中学、高校時代自分たちは時間を制御する自由はなかった。遅刻、欠席は学校という名のもとで管理された。また、それらは保護者の元で管理されていた。自分たちは管理されていたのだ。

 

大学を出て就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など会社で許されるわけがない。高校時代も会社に勤めても時間を管理するのは自分ではなく他者である。それは家庭を持っても変わらない。愛する人は愛している人の時間を管理するのである。

 

大学という時間は、時間を自分で管理できるキラメキの時間なのである。

なので、自分はこの立ち止まる自由を使って、色々な物を自分の目で見、経験してきた。ではそこから俺は何を学んだ?

 

まず世の中に正解はないということ。そして自分の正解の基準を決め、自分の人生のゴールを決めた。

大学1,2年の頃は何か正解があると思っていて、ビジネススクールなど通っているときはこれが世の中の正解だと思っていた。

 

大学3年のときに、色々な経験からこの世の中に正解はないことを悟る。

正解がないなら自分で正解を作らなければならない。だけど、選択肢が多すぎてどれを自分の正解にすればいいか分からなくて、色々と悩む。

 

その中で自分の正解の基準を「自分が美しいと思ったもの」を自分の中の正解にすると決め、人生のゴールを自分の美しいと思った生き方をするということに決めた。