syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

マズローの五段階欲求

今日は衝撃的な話を聞いた。

 

「人の承認欲求を満たせば人はついてくる!!」

 

確かにと思った。

 

人間弱いもので人に認められると嬉しいものなのである。

 

そうすると気持ちがいいためにその人についていってしまう。

 

もうこれは本能のレベルであるから防ぎようがないと思う。

 

例を上げよう。

 

宗教である。

 

なぜ人は宗教にはまるのか。

高い金を払って正直第三者から見たらなんの得もないように見える。

 

なぜか。

 

「宗教は自分を受け入れてくれるから。」

 

承認してもらえるから宗教に入るのである。

 

ここで一つの疑問が生まれる。

 

「承認欲求を求めるのって悪いことなの?」

 

悪い!!

人に認められるために何かを行うなんて間違ってる!!

 

と思ってしまった自分。

浅かった。

 

ここで題名の「マズローの五段階欲求」を出そう。

 

皆、思い出して欲しい。

 

生存欲求、安全欲求、社会的欲求。

 

 

その次は・・・・・・・・・・

 

 

「承認欲求」

 

入ってますね。。

 

なので、承認欲求が出るのはむしろ正常ということなのである。

 

ということは、この承認欲求を満たせばいいじゃないか!!

 

なぜならこの承認欲求を満たせば次は自己実現が来る!!

 

なるほど、日本で自殺者が多い理由がわかった。

 

「社会的に認めてもらえない、自分を承認してもらえない」

 

これが自殺の一番の原因だ。

 

人はここを認めてもらえないと本当に死ぬ。

 

じゃあ、宗教があってもいいんじゃないか。

 

宗教に入れば自分を認めてもらえるし、社会的な居場所もできる。

 

自殺も減るじゃないか。

 

待て待て、そもそも何で日本は宗教入っている人少ないんだ?

 

外国は皆宗教入ってるのに日本は全然入ってない?

 

日本の自殺者が多い理由は明らかじゃね??

 

恐らく日本の宗教人数が少ないのは江戸時代の禁教の影響と、オウムの影響であると思われる。

 

この二つのために、宗教のイメージが悪くなってしまい、日本では未だに全く流行っていない。

 

話がずれたから戻そう。

 

「承認欲求を求めることは悪いことなのか。」

 

答えはNOと言いたい。

 

なぜなら、人が承認欲求を求めるのは本能であるし、健全な証拠である。

 

この承認欲求さえ満たせば自己実現にいけるじゃん!!

 

じゃあ、今は皆大体何かしらのコミュニティに属しているから、社会的な欲求は満たされているわけだから、その次の承認欲求、人から尊敬される方法を考えればいいんだ!!

 

解決!!!

 

とはならないですよね。

 

なんか変じゃないですか?

 

じゃあ、人から尊敬されるものだったら何をしてもいいの?

 

①親から勉強しろと言われてひたすら勉強して親に認められたら自己実現の道は開けるの?

 

②人を蹴落とすような商売をして、周りからは嫌われても会社仲間から認められれば道は開けるの?

 

答えはNOである。

 

①自分の気持ちを押し殺して、親の期待通りの人生を歩いた人が幸せだったという話は聞いたことがない。

 

むしろ

 

「母さんの人生を僕に押し付けないで!!」

 

というような話を聞いた人が多いはずである。

 

②もし仲間に認められて自己実現への道が開くなら会社人間の自殺はアリエナイ。

 

むしろ

 

「仕事だけに生きて、なぜ俺は一番大事な家族をほったらかしにしていたんだ!」

 

というような話を聞いた人が多いはずである。

 

また話がそれた。

 

戻すとつまり、

 

「承認欲求を満たせば自己実現への道が開くというわけではない」

 

ということである。

 

では、どのようにすれば自己実現へいけるのだろうか。

 

答えは

「嫌われる勇気」の中にあった。

 

簡潔に書いていく。

 

まず、安全欲求を満たしたところで承認欲求を捨てます。

 

親が求めている自分、先生が求めている自分、友達が求めている自分

 

全て捨てます。

 

なぜか。

 

それは他人の人生を生きるから。

 

自分の人生を生きるにはまずそこを捨てる。

 

次。

 

自分はここにいていい、ここが好きという場所を見つける。

これは社会的欲求である。

 

最悪、団体に属していなくても自分は地球の一人で皆とつながっているなどの所属感を持てれば問題ない。

 

さあ、社会的欲求を満たしました。

 

ここでも承認欲求を求めてはいけない。

捨てたままにするのだ。

 

じゃあ、何をするのか。

 

 

「他者貢献」

 

するのである。

 

待て待て、他者貢献って結局人から承認されるためにやるんじゃないの?

 

結局承認欲求を求めてるんじゃないの?

 

違います。

 

自分がしたい他者貢献をするのである。

 

例えば先ほどの例を上げよう。

 

親から勉強しろと言われてひたすら勉強して親に認められたら自己実現の道は開けるの?

 

これで親の望む通り勉強したとしよう。

これは自分が勉強することを望んでれば全く問題ないが、望んでない場合は問題である。

 

確かに他社貢献であるが、自分がしたい他者貢献ではない。

 

ここを間違えてはいけない。

 

大事なのは自分がしたい

「他者貢献」である。

 

これを行うとどうなるか。

 

人から感謝される。

 

人間何を一番に幸せを感じるかというと、人から「ありがとう」と言われた時である

 

つまり、人の役に立てた時である。

 

そして、この自分がしたい他者貢献とは

自分の人生を生きながら人に認めてもらえるのである。

 

ここが重要である。

 

そうすると正しい承認欲求を得られることができ、

自己実現への道が広がるのである。

 

大事なのは

人の人生を生きる承認欲求は自己実現の道へとは繋がらないこと。

 

承認欲求を消した他社貢献を行うこと。

 

この二つを知っているだけで人生は大きく変わってくる。

 

余談

 

ちなみに安全欲求が満たされなくても人は死なない。

 

生きるために必死になる。

 

疑問なのだが、なぜ安全欲求が満たされなくても自殺しないのに、社会的欲求では死ぬのだろう?

 

多分、人間は精神的なダメージに恐ろしく弱いのである。

 

安全欲求では生きるのに必死で他人のことなんか気にならないのである。

つまり、精神的なものとしてのダメージはない。

 

なので、安全欲求を求めている時点では人は自殺しないのである。

 

また、カンボジアのことにも触れておきたい。

 

彼らは皆夢を持っている。

 

「医者になりたい」

「教師になりたい」

「パイロットになりたい」

 

キラキラしている。

なぜこの子供たちはこんなに貧乏なのに夢を持っているのだろうか。

 

 

気づいてしまった。

よく見て欲しい。

上の職業はみな彼らの国では多くの金を貰えてかつ、首が飛ぶこともない。

 

つまり、安全欲求が満たされていないからこそ来る欲求なのではないか。

 

もし、彼らがその夢がかなったら、次に彼らは社会的欲求、承認欲求に苦しむであろう。

 

これは自分の考えなのでもちろん信憑性はない。

 

しかし、そうである気がしてならない。

 

最後に、

 

「世の中全て宗教である」

 

うん、間違いないね。

 

だから、どう人に承認されるかが重要なんだよね。

 

自分のしたいことをして他社貢献するのか。

他人のいうことを聞いて他者貢献するのか。

 

それだけの違いな気がする。