syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

この時代、この日本という国に生まれて

僕は日本という国に1993年に生まれた。

 

小学校、中学校、高校も無事卒業し、現在は日本大学に通っている。

 

東京に一人暮らしをしており来年からは就職である。

 

ここまで見て、何も別に驚くべきことはないだろう。

ごく普通の日本の若者の光景である。

 

僕も大学1年まではそう思っていた。

これら全ては当たり前であると。

 

しかし、大学一年、カンボジアという国に行ってからこの考えは大きく変わった。

 

虐殺の歴史。

4,5歳の子供たちが学校に行かずに働く現実。

中学生位の年頃の子が日本での小学生位の体型である子供が多い。

 

詳しくは書かないが、このカンボジアで色々な物を見るうちに一つの疑問が生まれた。

 

「生まれた場所、時代が違うだけでこんなにも違うのか」

 

僕は運良くこの日本に生まれ、空腹で死にそうになったこともないし、誰かに殺されかけたこともない。

 

幸運である。

 

成りたいものになれるし、好きな人とも結婚できる。

そして、子供も育てることが出来て、周りの友達も自分で選ぶことができる。

 

素晴らしい人生である。

 

しかし、この生活は過去の多くの人の犠牲の上に成り立っている。

 

この日本という国を素晴らしくするため、幕末、明治、昭和、太平洋戦争、戦後、多くの人間が命をかけて築き上げてきた。

 

坂本龍馬など有名な人はもちろん、その道中志途中で命を落としていった人。

 

彼らの血の滲む命をかけた行動の末、今の我々の生活がある。

 

こんな時代である。

 

別に誰が何しようと犯罪さえ行わなければ基本なんでもしてよい。

 

ただ、一つだけ思うのは

 

「過去の壮絶な時代を生きた彼らが今の僕を見たら彼らはどう思うのであろう」

 

ということである。

 

戦争で自分の夢を諦めざるを得なかった人、自分の命をかけてこの日本のために行動を起こした人、時代の風潮で身分が違う恋愛は禁止されていた人々。

 

この人たちは今の自分の状況をみて何を思うのだろうか。

 

今の時代、どのように生きても問題はないし、それは自由でなければならない。

 

しかし、ただなんとなく大学に行き、なんとなく就職し、なんとなく結婚する。

 

これは自分はどうしても我慢できない。

 

こんな幸福な時代に生まれたのだ。

自分の心の声を聞き、それに従って行動を起こし、危険はいっぱいだけど冒険的なアドベンチャーな人生を送りたい。

 

自分がしたいことを心いっぱい行う。

自分の護るものを見つけ、それをめいっぱい愛する。

 

そして、この日本という国がさらにもっともっと素晴らしい国になるように、考え、行動していく。

過去の今の日本、世界を作り上げた、その犠牲になった人たちへの感謝の気持ちを常に持ちながら。

 

僕はまだ自分が何をしたいのかあまり分からない。

護るものも数多くない。

 

それでも、僕はそのような人生を必ず、必ず送るだろう。